今回は、天皇の喪中という「究極にシリアスで尊い時間」をテーマにした徒然草第二十八段を紹介するね。
突然だけど、お葬式や法事の時って、あえて地味な服を着たり、派手なことを控えたりするよね?
実は昔の天皇の喪中(諒闇)って、その「控えめさ」がマジで徹底されていて、むしろそこが一番エモいって兼好さんは言ってるの。
いわば、デコるのをやめて、あえて質素に振る舞うことで見える美しさについて語っているんだ。
それでは、このストイックすぎる「引き算の美学」を、一緒にエモ訳していこう!
徒然草第二十八段の原文

この段の原文は以下の通りです。 一緒に読んでみましょう。
諒闇の年ばかりあはれなる事はあらじ。 倚廬の御所のさまなど、板敷をさげ、蘆の御簾をかけて、布のもかうあらあらしく、御調度どもおろそかに、皆人の装束、太刀、平緒まで、ことやうなるぞゆゆしき。
徒然草第二十八段のポイント解説

この段では、天皇の喪中(諒闇)における独特の雰囲気を称えています。
宮中の豪華な調度品をあえて粗末なものに替え、人々も地味な装束に身を包む。
そんな徹底した自粛の中にこそ、深い趣と尊さが宿ると、兼好法師は感じ取っているんです。
徒然草第二十八段の📘キーワード解説
- 諒闇(りょうあん):天皇が親(先代天皇)の死を悼んで喪に服す期間。いわば国家全体がモードに入る特別な1年。
- 倚廬(いろ):喪中に過ごすための仮の住まい。したがってあえて不便で狭い場所に身を置くことがルール。
- ゆゆしき:現代では「由々しき事態」など悪い意味で使うけれど、ここでは「恐れ多いほど神聖で、身が引き締まる」というポジティブなエモさのこと。
徒然草第二十八段のエモ語訳
この段をエモ訳してみました。 一緒に読んでみましょう。
喪中の空気感こそが優勝
天皇の喪中の1年ほど、心がギュッとなってエモい時期って他にないと思う。
だって、世の中のキラキラしたものが全部オフになって、「悲しみ」と「敬意」だけが残るんだから。
その空気感は、どんなお祭りよりも強く心に残るものなんだよね。
あえて「映えない」を選ぶ美学
仮の住まい(倚廬)の様子も、マジでストイック。
板敷きを一段低くして、カーテン(御簾)も高級なものじゃなくて、あえて粗末なアシのすだれに替える。
部屋に飾る布もゴワゴワで粗いし、家具(調度品)もあえてランクを落とした質素なものにするんだ。
その「着飾らない」ことへのこだわりが、逆にめちゃくちゃ尊いんだよね。
統一された「悲しみのコーデ」
そこにいる人たちのファッションも、刀の飾りまで全部が「喪中専用」の地味なスタイルに統一される。
ゆえに誰を見ても浮ついた感じが一切なくて、空間全体がピンと張り詰めてる。
その「徹底して日常を捨てる」感じが、見てるだけで鳥肌が立つくらい、神聖で美しいなって感動しちゃうんだ。
徒然草第二十八段の言いたかったこと
兼好法師がこの段で言いたかった結論は、
本当の美しさは、華やかにデコることではなく、あえて「引く」ことで完成する。したがって、大切な何かを失った時に、あえて不便や質素を受け入れる態度は、人間として最高に品格がある。いわば、映えるものばかりを追いかける日常から離れて、たまには静かで「何もない」時間に身を置く。たとえそれが寂しくても、その静寂こそが心を一番豊かにしてくれる。
ということです。
徒然草第二十八段のキーワードは、「御調度どもおろそかに……ことやうなるぞゆゆしき」。
部屋の電気を消して、キャンドルの光だけで過ごしてみよう。
そうしてあえて「不便」を楽しむことで、普段見えない大切なものが見えてくるはずだよってこと。
飾らない生き方の本を読んだ後の感想を「ブクスタ」で書くと、誰かのためになるかも。



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