今回の徒然草第七段は、兼好法師が語る「生と死」のリアルな授業。
2025年が最高に楽しくて「来年ももっとのんびり、もっと長く楽しみたい!」なんて思っている私たちが、一番ドキッとする回だよ。
テーマは、ズバリ「命が短いからこそ、人生はエモい」。
「ずっと生きられたらいいのに」って思うけど、実はそうじゃない!?
兼好さんが教える「最高の死に時」と、長生きすることの意外なリスクについて、エモ語で深掘りしてみよう!
徒然草第七段の原文

この段の原文を読んでみましょう。
あだし野の露きゆる時なく、鳥部山の烟立ちさらでのみ住みはつるならひならば、いかに物のあはれもなからむ。世は定めなきこそいみじけれ。 命あるものを見るに、人ばかり久しきはなし。かげろふのゆふべをまち、夏の蝉の春秋を知らぬもあるぞかし。つくづくと一年をくらす程だにも、こよなうのどけしや。あかず惜しと思はば、千年をを過ぐすとも一夜の夢の心地こそせめ。すみはてぬ世に、みにくきすがたを待ちえて何かはせむ。命長ければ辱多し。長くとも、四十に足らぬ程にて死なむこそめやすかるべけれ。 その程過ぎぬれば、かたちをはづる心もなく、人に出でまじらはむ事を思ひ、夕の陽に子孫を愛してさかゆく末を見むまでの命をあらまし、ひたすら世をむさぼる心のみ深く、もののあはれもしらずなりゆくなむあさましき。
徒然草第七段のポイント解説
この段は、吉田兼好の「無常観(この世に永遠はないという考え)」が最も色濃く出ているパートです。
📘 キーワード解説&テーマ
- 「限定品」だから価値がある
- あだし野の露・鳥部山の烟: どちらも当時のお葬式や火葬の場所。つまり「死」の象徴。
- 世は定めなきこそいみじけれ: この世が「いつ終わるかわからない(無常)」だからこそ、素晴らしいのだ。
- もし人が死なない存在だったら、人生の「エモさ(物のあはれ)」なんて消えてしまう、と兼好さんは言っています。
- 人間は十分長く生きている
- かげろふ・夏の蝉: 寿命が極端に短い生き物の例。
- それらに比べれば、人間の一年は「こよなうのどけし(めちゃくちゃ長く、のんびりしている)」。
- 欲を言えばキリがない。たとえ千年生きても、終わる時は「たった一晩の夢」みたいに感じるもの。
- 「命長ければ辱(はじ)多し」
- 四十に足らぬ程にて死なむこそめやすかるべけれ: 40歳になる前に死ぬのが、見た目も綺麗でちょうどいい。
- 40を過ぎると、自分の衰えも気にせず図々しくなり、子孫の繁栄ばかり願って現世の欲にまみれてしまう。「物のあはれ(繊細な心)」を忘れた老害(!)になってしまうのは「あさましき(情けない)」ことだ。
徒然草第七段のエモ語訳
ねぇ、もしこの世界に「死」がなくて、みんな永遠に生きられるんだとしたら、
多分、何を見ても「あぁ、エモいな」なんて感じなくなっちゃうと思うんだよね。
「いつかは終わる」からこそ、今がマジで尊いんだわ。
生き物の中で、人間って実は一番長生きしてるんだよ?
朝生まれて夕方には死んじゃうカゲロウとか、夏しか知らないセミに比べたらさ、
のんびり一年を過ごせるだけでも、マジで超ラッキーで贅沢なことなの。
「もっと生きたい! まだ足りない!」って欲張ってたら、たとえ千年生きても「あっと言う間だったな」って思うだけだよ。
それにさ、長く生きすぎて、見た目もヨボヨボになってまで何がしたいの?
「長く生きると、恥をかくことも増える」んだよ。
ぶっちゃけ、40歳前くらいでサクッと死ぬのが、一番綺麗でカッコいいんじゃないかな。
それ以上長生きするとさ、自分の見た目がダサくなっても気にしなくなったり、もっとお金が欲しいとか、孫の代までリッチでいたいとか、ギラギラした欲ばっかり深くなっちゃう。
そうやって「今この瞬間のエモさ」もわかんない恥ずかしい大人になっちゃうのって、マジで悲しすぎない?
徒然草第七段の言いたかったこと
徒然草第七段で言いたかった結論は、
「人生の美しさは長さではなく、『いつ終わるかわからない儚さ』にある。欲張って長生きを願うより、今与えられている時間のゆとりを楽しみ、醜い欲にまみれる前に美しく完結することこそが理想である」
ということです。
「2025年が最高だったから、もっと長くのんびりしたい」って思うのは自然なこと。でも兼好さんは、「その『のんびりした一年』が持てたこと自体が、実はセミの寿命からしたら奇跡レベルの幸せなんだよ」って教えてくれてるんだね。
長生きして欲にまみれるよりも、今のその「楽しい!幸せ!」っていう綺麗な心のまま、今を大切にするのが一番エモい生き方なのかもしれないよ!
人生観などの本を読んだ後は感想を「ブクスタ」で書きためて、気持ちをみんなに知ってもらうのもいいですね。



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